台湾雑話 2

 以下の「台湾雑話」は圓寂坊のメルマガ、中国武術&気功集成に以前連載したものです。圓寂坊の台湾での生活や記憶がしたためられております。ところどころに、季節感や当時の思いとかアクシデントとか入ってますが、無視してお読みください。(;^_^A

(なお、上が古い発行分となってます。下に行くほど発行が新しいです。最も古いのは2001年ぐらいだったと思います。)

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    台湾雑話(汗の効用)
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 思えば私が日本に帰国してから、もう8年近くが経とうとしております。現在は大阪市に住んでおりますが、街を歩きながらいつも思うのは「日本の街はきれいだなぁ。空気がいいなぁ。」ということです。このゴミゴミした大阪でさえそう思えてしまうのです。

 特に空気は悪かったですね、台北市は。街を30分も歩けば鼻の穴が真っ黒になってしまいます。何が原因なのかというと、車とバイクの排気ガスです。特に夏などは二百〜三百メートル先の景色がかすんで見えるほどひどいものです。ある友人などは、「台北に住んでいると、時々肺を取り出してジャブジャブ洗いたい!!」とよく言っていましたっけ。空気の悪さは凄まじいものがありました。

 また、以前にもお話したと思いますが、水道の水は日本と違って沸かさなければ飲むことは出来ませんでした。また、沸かして飲む水道の水もかなり汚染されているのではないかと、結構不安がありました。一週間や十日の旅行で、台湾に滞在するならば問題ないでしょうが、ずっと住むとなると水質の汚染などは大変気になるところです。で、確かに何か毒素が体内に蓄積されていくような感覚もあったように思います。実は、そのように水質汚染を心配したのは、ある事を聞いたのがきっかけでした。

 台北市には淡水河という比較的大きな川が流れております。毎年、この川で端午の節句(旧暦5月5日)にドラゴンボートレース(龍舟比賽)が行われるのですが、師範大学の留学生たちも参加したりします。そのとき、友人の知り合いの外国人で出場した人のある体験談を聞いてぞっとしたのです。それは、こういう話でした。

 ボートレース中にボートを漕いでいると、もちろん水しぶきが手などにかかります。なんと、ある外国人の選手は淡水河の水しぶきを手に浴びたことによって、手の皮膚が赤く腫れ上がってしまったと言うことです。こんな公害汚染の水が台北市内の大きな川を流れているのです。そういえば、淡水河の水はどす黒く濁り、どぶ川の様相を呈していましたっけ。(>_<)

 つまり台北市では、人間が暮らしていく上で、最も重要である空気と水が大変汚染されているようなのでした。私は中国語がある程度マスターできた後、早く日本へ帰りたいと思いましたが、その大きな理由がこれでした。「……このままだと、きっと体を壊してしまうに違いない!」

 思い出してみると、台湾へ行ってから、太極拳に出会うまでの一年半ぐらいは体調がかなり悪かったように感じます。暑い台湾では、クーラーがガンガンに利いているので、しょっちゅう風邪のような症状に悩まされましたし、頭痛に伴う寒気、吐き気のようなものにも悩まされました。(これは、肝臓に毒素が蓄積した所為ではないかと密かに思っております。)

 日本語学校の受付の小姐にはよく「ちょっと虚弱すぎるんじゃないの。」と
言われて恥ずかしかったです。そして「そうなのか、私が虚弱すぎるのか。」などと思ったりしましたが、よく考えてみると、やつらはもうずっとこの島に住んでいて、環境には免疫が出来てるじゃないですか。私が虚弱のせいではないですぞ!!(ToT)この劣悪な環境に慣れているから、そういう言葉が吐けるのです。

 ところが、太極拳をやるようになってから、そのお蔭かだんだん体調の乱れが小さくなってきました。(まぁ、体が台湾の環境に慣れ始めたということもあったと思いますが…。)どうしてなんだろうと、いろいろと考えた末、ひとつの結論に達しました。それは汗!!です。汗をかくことによって毒素を排出しているのだと思います。

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   台湾雑話(汗の効用その2)
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 実はちょうど太極拳を始めた頃、日本語の本が読みたくなった私は、永漢書局(台湾の華僑である邱永漢氏の経営する本屋。日本語の本がたくさん置いてあり、新刊書なども買える。ただしバカ高。)へ行って本を立ち読みしておったのですが、ちょうど健康法関係の本の中に面白い健康法と言うか療法を見つけたのでした。もちろん、著者は日本人でしたが、もう古いことなので著者名や書名などは思い出せません。確か新書版の本であったと記憶しております。

 さて、その健康法の内容です。それは簡単に言うと今では日本でも一般的になっている「半身浴」による健康法でした。それは湯船に半分ぐらいのぬるめのお湯(38〜40℃)をはり、そこに30分以上、胸から下だけ浸かって体を芯から温めるというやり方です。

 その著者によると、人間のあらゆる病気は「冷え」から起こるのであり、特に「頭寒足熱」のバランスが重要であるということです。つまり、その頭寒足熱のバランスが崩れることによって病気が起こると言う考え方でした。まぁ、これは全く東洋医学の理論に属する考え方で、別に真新しいこととは思いませんでした。

 しかし、その人はさらにこの考え方を特化して、たとえ夏の暑い時であっても、上部のみが暖まっていると、バランスが崩れ寒気に犯されると言う考えでした。具体的に言うと、たとえ気温が三十度あろうと、上に長袖のシャツをきて下を半ズボンなどにしていると、頭寒足熱のバランスが崩れ寒気に犯されると言うものです。逆の例では、たとえ冬でも、上は薄着にしていても、下部さえしっかり温めておけば、バランスが崩れることが無く、寒気に犯されることはないということらしいです。

 そして、その崩れたバランスを元に戻すために「半身浴」が有効であると言うのです。彼の理論によると、サウナなどは筋肉ぐらいまでしか暖まらず、骨の髄まで暖めることは出来ないので、やはりぬるめのお湯にゆっくり浸かって、骨の髄まで暖めることによってこそ、寒気が体から出て行くということなのです。また、熱いお湯は長い間浸かっていることが出来ないので、体を芯から温めるのには適さないと言うことでした。

 この本を立ち読みして、「なるほど!!」と納得した私は、早速しばらく試してみました。(一定期間毎日行うのが良い。)すると、本当に体調が良くなってきました。なんと、暑い台湾で体が冷えているとは夢にも思わなかったのですが、クーラーなどによって寒気に犯されていたようです。

 また、半身浴の効果は体を暖めるだけではなかったようです。不思議なことに、体をきれいに洗ってから半身浴を行っているのに、最初のうちは湯がかなり濁るように思いました。「おかしいな。石鹸で体を洗って入っているのに…。」と考えをめぐらしているうちに、ポタポタと落ちる汗に気がついて、「まさか、汗に含まれる老廃物なのか…。」と思い当たったのでありました。恐らくそうなのでしょう。この時、体の老廃物やそれまで取り入れられた毒素が汗とともに排出されていたのだと思います。

 汗、そう、汗をかくということは、毒素や老廃物の排出につながるのです。そういえば、黄先生の太極拳導引の教室では、汗をいっぱい出す為に、随時お茶や白湯を飲みながら練功を行っていましたっけ。そのとき黄老師は、「例えば導引の基本動作をやっている時、額や腕、その他体躯から汗が出るのは当たり前のことなのである。手の甲や指から汗が出てくるようになれば十分に運動したと言える。」とおっしゃっていました。また、「練功中、皆さんの毛穴からクーラーの寒気が排出されるので、その匂いが鼻をついてたまらない。私はクーラーに当たらないからよくわかる。」ともおっしゃっていました。

 と言うことは、老廃物や毒素だけではなくて目に見えない「寒気」などというものも排出されているのでしょう。ならば目に見えない邪気のようなものも、大量に汗をかくことによって毛穴から排出されるのかもしれません!?

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   台湾雑話(汗の効用その3)
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 私は以前、黄老師に質問をしたことがあります。「老師、どのくらい汗をかけば十分な運動と言えるのでしょうか?」それに答えて老師は「練功中、上腕と肩のところに汗が吹き出してくるだろう?これをちょっと舐めてみるのだ。その時しょっぱさや渋みなどを感じたら、まだまだ汗の量が足らないと言うことだ。たくさんの白湯などを飲み、さらに汗をかいて、吹き出した汗に味が無く、水のようになったら十分運動したと言える。」とおっしゃいました。言うのは簡単ですけどねぇ。(;^_^A

 考えてみると、昔の人に比べて、現代人は汗をかく機会が非常に少ないと思いませんか。何故なら、昔は何でも人力でやっていましたから、汗をかく機会が多かったでしょう。ところが、現代ではその多くの仕事を機械が取って代わっているわけです。昔なら基本的な日常生活においても、それこそ水汲みから始まって、薪作り、(薪水の労という言葉があるのをご存知でしょうか?)、掃除、洗濯等々、すべて人力でやっておりました。これらの日常の最も簡単な仕事でさえ、かなりのエネルギーを使い、汗をかくことでしょう。その他の仕事に関しては推して知るべきですね。ですから、我々は健康のためにも、日常出来るだけ動いて汗をかくべきなのは明白です。汗をかかないことによって、どんどん体に毒素がたまっていくのですから。

 しかし、我々日本人にはお風呂という福音があります。そう、一日の疲れを癒し、さらに汗を出す機会を与えてくれます。日本人の長寿の原因のひとつはここにあるのではないかとすら思います。

 以上のような体験などから、私は体調の悪い時(風邪をひいた時など)などには、必ず半身浴を行うようにしています。30分ずつかけて、二回浴槽につかるようにしております。(お風呂に入る前には少し多めに水やお茶などを飲んでから入ります。)そうすると結構多量に汗をかいて、軽い風邪などはすぐに治ってしまいます。(熱い風呂に入っては逆効果となりますのでご注意ください。)

 さて、昨年の後半ぐらいからちょっと体調が悪かった為、時々半身浴をやっておったのですが、その時、もうひとつの汗の効用に気がつきました。それは塩分の排出です。

 塩分と言えば、私が最初に台湾に行った時、食事がかなり薄味だったので物足りなく感じたものでした。そのくせ飲み物の味はすべて甘い味付けがつけてあります。何でも、漢方では砂糖は体を冷やす作用があると言うことなので、暑い台湾ではわざとそういう風にしているのかも知れません。ですから、台湾の味付けはどうやら日本人(私だけ?)にとっては薄味の上に甘すぎるように思いました。でも、暮らしているうちに薄味には慣れましたけどね。(日本に帰ってからは当然もとに戻りました。)

 最近、高血圧予防など、健康の為に薄味にするとか、減塩食品が大流行ですね。塩分の取りすぎは腎臓にも良くないようです。台湾のような薄味の食事をしていれば、高血圧などの病気はあまり心配ないかも知れません。

 でも、私は健康に気を使うあまり、まずい物を食べるのは嫌なのです。どうせなら、おいしく食べて健康でありたいのです。皆さんはどうお考えですか?

 そこで提案したいのは、汗を大量にかいて塩分を排出してしまうことです。余分に取り入れた分は排出してしまえばいいのです。塩分の取りすぎなんか怖くないのです。塩分を恐れる必要があるのは、汗をかかない人だけではないでしょうか。でも、運動して大量の汗をかくのはなかなか大変ですし、下着などの洗濯も面倒ですね。そうです、一番楽に大量の汗をかけるのはお風呂です。お風呂で半身浴!!これが一番でしょう。(水分をとってから入ります。)

【 因みに、塩分の排出に優れた食べ物は、バナナ、トマトなどが挙げられるようです。要するにカリウムを豊富に含んでいる食物が良いらしいです。お風呂の前にトマトジュースなんか良いかもしれませんね。 】

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    台湾雑話(引越し編 その一)
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 さて、久しぶりに台湾時代の思い出を書いてみようと思います。(^^ゞ

 以前、家探し編で騒音の凄まじいアパートに住むことになった経緯をお話しました。今回は、とうとう、そのアパートに耐え切れなくなった私が、ひょんなことから次の引越し先をみつけ、そこに移ることができた成り行きをお話してみます。

 1990年の6月から暮らした、そのひどいアパートにはほぼ8ヶ月ぐらい住んでいたと記憶しております。ですから、翌年の2月か3月ぐらいに引越ししたことになりますね。何月だったか、もう記憶が定かではありません。

 さて、そのアパートのあまりのひどさに耐えかねた私は、いろいろと友人など人づてでアパートの情報を模索してはいたのですが、なかなか良い所は見つかりませんでした。また、あっても予算をはるかにオーバーしていることがしばしばで、結局ずるずると4〜5ヶ月が過ぎてしまいました。

 話はちょっとそれますが、外国に暮らす人にとって、ビザの書き換えは本当に面倒なものです。当時、私は観光ビザで入国しておりました。現在は台湾のビザがどうなっているのかはよく知りませんが、私がいた時代には観光ビザは2ヶ月の期限で、特別な事情(語学学習等)があれば警察署に赴き、延期の手続きを行うことによって2ヶ月の延長が認められます。(これがまためんどいのです。なんせ、お役所仕事なんですから…。(ToT) 機会があれば苦労話をお話したいと思います。)

 また、理由があればさらにもう2ヶ月の延期までは認められることになっておりました。つまり、2ヶ月ごとに警察署に赴いて手続きをすれば、最長6ヶ月の滞在期間が認められるわけです。観光ビザでそれ以上の滞在は認められておりませんので、一度国外へ出て再度観光ビザを交流協会に申請しなければなりません。

 で、私の場合は1990年の五月末に台湾に入国しましたから、11月の末には一度出国して再度ビザを申請する必要があったのです。とうとうやってきた6ヶ月目の期限を前にして、初めて台湾へ来る時に大阪の交流協会でビザを申請したことを思い出した私は「え〜っ、日本へ一度帰らないといけないのか…?!」と悩んでいたら、ある友人が「別に日本じゃなくてもいいよ。タイでも香港でもどこでもいいんだよ。それに日本なら沖縄が近くていいよ。」と教えてくれました。

 一瞬、「沖縄へ行ってみようかな。」とも思いましたが、結局航空料金が一番安い香港に行ってビザの手続きをすることにしました。この香港滞在時(二泊三日)にもいろいろ面白い話がありますが、今回の主題は「引越しの経緯関連」ですので、その時ことはまたの機会に譲りたいと思います。

 さて、それは香港で無事にビザの手続きを終え、なごりを惜しみながら(香
港よかったぁ〜!!食べ物は台湾よりおいしいし、てきぱきと動く人たちで気持ちよかったし、大陸の書籍が買えるのも嬉しかったです。何よりホテルが静かでゆっくり寝られましたから。o(^o^)o)、カイタック空港で搭乗手続きをしていた時のことです。

 実は、香港にやってきた時も当然そうでしたが、話してみると、年寄りには広東語しか通じませんが、若い人には結構北京語が通じましたので、当然台湾じこみの中国語で搭乗手続きをしておったのです。が、急に後ろから日本語で「何かわからないことがあったらお手伝いしますよ。」と女性の声がしました。

【注:現在では香港は中共に返還されましたので当然公用語は北京語でしょうが、当時はまだそれほど皆が話せるという所までは行っていませんでした。】

 私としては、その時点までほぼ完璧に搭乗手続きを中国語でこなしたと思っており、相手の受付のおねえさんも、ちゃんと下手な私の中国語を聞き届けてくださり、何の不都合もなく事が進んでおりましたから、『大きなお世話だよなぁ。ちゃんと中国語で話してるだろ。』と思いつつ、「いえ、結構です。」と言おうとして振り向くと、なんと!!中年ながらも、かなりの美人女性(30代後半ぐらいに見えました。同伴者がいなかったので多分独身?!因みに私は当時33歳でした。若かった…。)ではありませんか。(^v^)

(海外に出て初めての美人女性との邂逅…。密かに願っておりました。(;^_^A チ、チャンスです!!因みに台湾ではその時まだ美麗小姐と知り合う機会はありませんでしたもんね。(ToT))

 思わず顔が恵比須顔になり、「有難うございます。手続き、もうほとんど終わりましたから。えっと日本の方ですよね?」と聞くと、「いえ、私は台湾人です。日本に留学していたことがあったので…。」と答えてくれました。それから彼女の手続きが終わるのを待って、いろいろと会話が始まりました。


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    台湾雑話(引越し編 その二)
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 さて、少し年上とはいえ、美人女性とお話しする機会を得て、うきうきしながら彼女と会話しつつ飛行機の搭乗口に向かったのでありましたが、彼女の方も嫌がる風も無く付き合ってくれ、ふたり並んで飛行機へ乗り込みました。

 歩きながら、平静を装いつつも(実はドキドキしていた!?(;^_^A )いろいろ彼女に尋ねてみました。彼女は「もう、永いこと日本語を話してないので、下手になっちゃってるんですけど…。」などと言ってましたが、なかなかどうして、日本語お上手でした。

 そこで、どのくらい留学していたのか聞いてみると、日本には八年ほど住んでいたということでしたので、どこに住んでいたのか聞いたら、「二十台の時で、もうよく覚えていないけど、確か『鳥』の字がつく県に住んでいました。」というので、「『鳥』の字のつく県なんてあったかなぁ。」とちょっと考えて、「鳥取!!」と思い当たり、「鳥取(ニャオチィ)でしょう!」というと「あ、そうそう。鳥取です。トットリ。」と答えたので、「エーッ!?珍しいなぁ。鳥取ですか。何でまた。」と思わず言ってしまいました。

 本当にこれは意外に思いました。普通なら、語学留学を目指す台湾人などは東京や横浜などの大都市を目指すはずです。(大阪は関西弁なのであまり目指してないようです。(ToT))『なぜ鳥取なの?』と疑問に思い、聞いてみましたが、あまり語りたくなさそうであったので、それ以上は突っ込んで聞きませんでした。(「二十台のほとんどを鳥取で過ごすなんて…、(・・;)絶対男がらみだな…。」などと妄想しましたが。)

 さて、飛行機に乗ってからもなんと隣同士の席であったので、台北までの時間、退屈することがありませんでした。で、彼女とお話しているうちに彼女についていろいろと情報を得ることが出来ました。彼女は姓を黄さんと言うこと、台北で小さなプティックをやっていること、香港へは服の仕入れの為にちょくちょく来ること、今回はその店の仕入れの為にやって来たこと、日本人らしい人を見つけて懐かしくなって声を掛けたことなどです。それから、台北へ帰ったら彼女のお店へ遊びに行く約束もしちゃいました…。へへっ。(^^ゞ

 台北の空港に着いたのは夜の7時か8時ごろだったように記憶しております。手荷物を持って、彼女と一緒に通関へ向かおうとしたその時、「黄小姐!!」と女性の声がしました。その女性はどうやら黄さんの知り合いの人らしく、同業者の人で顔見知りの人のようでした。で、二人で何やら台湾語(北京語ならわかるのですが、台湾語はチンプンカンプンなのです。(^^ゞ)で話してから、黄さんが私に向かって、「あのね、この人は曹さんと言って、私の同業者なんです。仕入れの品物をたくさん買いすぎて、一人で通関すると多分止められて、税金をたくさん払わなければならないみたいなので、誰か荷物を受け持ってくれる人を探しているんですって。で、私に頼んだんだけど、私も仕入れの荷物が手一杯で持つわけにはいかないんです。あなた、手荷物だけみたいだから、彼女の荷物を半分持って通関してくれませんか?」と言うのです。

 当時は、このようなことは日常茶飯事に行われておったようで、ガイドブックなどにもそういう通関の扶助をしてはいけないと注意が載っておりました。でもまぁ、話してみて黄さんが悪い人ではないと解っていましたから、その友人の為ならと、二つ返事で引き受けてしまいました。あとで聞いてみると黄さんと曹さんはただの顔見知りで友人関係にはないというのがわかったのですが、その時は友人なのだろうと思い込んでいました。(あぶねぇ〜。(;^_^A )

 通関で、もし「こんなにたくさんの服をどうするんだ。」と聞かれたらどうするのかと尋ねると、曹さんは「お土産に買ったといえばいいのよ。」と気楽に答えていました。それでも一抹の不安を感じながら、ドキドキしつつ曹さんの荷物を持って通関しました。幸いなことに、通関の役人は台湾人には厳しいですが、日本人には寛大なので何のお咎めも無く、無事に通り抜けることが出来ました。

 「義を見てせざるは勇なきなり」なんて言いますが、皆さんは絶対にこのようなことを引き受けてはいけません。どんなに困っている人がいても、知らない他人の荷物を持って通関するなどは大変な愚行です。幸い、私の場合は何事も無く通り抜けることが出来たので、笑い話に出来ますが、ここでもし麻薬や覚せい剤などでも荷物に紛れ込んでいたらと考えると、今思い出しても冷や汗が出る心地です。というか、タイなどは死刑らしいですから…。クワバラクワバラ…。(>_<)海外旅行の際はくれぐれも気をつけてくださいね。

 話を元に戻しましょう。無事に通関してから曹さんに荷物を渡して、いつものようにバスで台北の街へ帰ろうとすると、黄さんと曹さんが、「マイクロバスをチャーターしてあるので、一緒に台北へ帰りましょう。」というので、そのマイクロバスに乗り込みました。そのバスの中で曹さんともいろいろ話をしました。曹さんは黄さんとほぼ同年齢ぐらいでしたが、お世辞にも美人とはいえませんでした。(曹さんゴメン!!(^人^) )

 もちろん彼女(曹さん)は日本語は話せませんから、北京語で話をしました。
そして、現在のアパートの劣悪な環境に話が及び、何処かいい部屋が無いか探していると言うと、「私も今住んでいる所から引っ越そうと考えているのよ。じゃあ、何処かいい部屋が見つかったらあなたにも紹介してあげるわ。」と言ってくれたのでした。


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  V.台湾雑話(引越し編 その三)
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  実は、私はあの時(空港から帰るミニバスの中で話をした時)の曹さんの「いい部屋が見つかったらあなたにも紹介してあげるわ。」という言葉を単なる社交辞令と捉えておりまして、全然期待しておりませんでした。

 ところが、それから一月ほど経った頃に、突然曹さんから私のアパートに電話がありました。(そういえば電話番号教えたんでした…。(;^_^A)その内容は簡単に言うと「ちょうどいいアパートを見つけたから、一緒に見に行かないか?」ということでした。もちろん、このアパートから一刻も早く脱出したいと考えていた私は、二つ返事で了解したのでありました。

 どんなアパートを紹介してくれるのだろうと、まず彼女の店(頂好市場付近にあるビルの一階にある、小さな、本当に小さなブティック)へと足を運びました。実は、このビルの地下のフロアには黄さんの店があり、そこには香港から帰った後、ちゃっかり遊びに行っていました。(;^_^A その時に、曹さんの店の場所も聞いていたから、既に大体の場所は知っておりました。曹さんの店はその市場の一階のフロアにあったのです。

 さて、どんな部屋を紹介してくれるのだろうかと、期待に胸を膨らませて話を聞いてみると、なんと、彼女がとあるビルのフロアにある一角を借りるので、そこに私に一緒に住まないかというお話でした。『えっ…、それってもしかして同棲?!う〜ん、黄さんとなら一緒に住んでもいいんだけど…。』などと不埒なことを考えてしまいましたが、『でも、曹さんとなら絶対に怪しい関係にはならないな…。』と妙に納得して、結局二人で部屋を見に行くことにしました。

 そのマンションは、頂好市場の近くで、黄さんや曹さんの店から歩いてすぐの所にありました。公園のそばの閑静な住宅街です。バストイレ付きの部屋を套房(タオファン)と言い、ちょっと高級であるということは以前にも述べたことがあったと思います。そのマンションは三部屋と広いリビング、バストイレが2箇所、キッチン1箇所付の広い套房(タオファン)でした。(因みに部屋の広さは12畳ぐらいだったでしょうか。結構広かったです。かのうるさいアパートはベッドを置くと余りが1畳ぐらいしかありませんでしたから、凄く広く感じました。また、こういう所にはベッドなどは各部屋に備え付けで置いてあります。)

 『これは、めっちゃいいとこやなぁ〜。』と凄く気に入り、どの部屋を私に割り当ててくれるか聞くと、「あなたが住みたいところを自由に選んでよい」というので、窓から公園の見える室内にバストイレがついた部屋が気に入ったので、「じゃあ、ここ!!」と言うと、「うん、きっとそこを選ぶと思っていたわ。」とのお答え。そして、リビングとキッチンは共有とのことでした。(もちろん、各部屋には鍵が付いておりましたから、自由に行き来は出来ません。(;^_^A )

 さて、家賃はというと、今までのアパートよりちょっと高いぐらいに設定してくれました。(8000元だったか9000元だったか…)要するに又貸しなのですが、曹さん一人ではこの広い套房(タオファン)の家賃を払いきれないので、同居人にある程度支払える人が欲しいというのです。このようなことは、台湾ではよくあるケースのようでした。でも、同性の場合ですけど…。ほんとにいいの?曹さん。(^^ゞ


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  V.台湾雑話(引越し編 その四)
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 大いにそのマンションと曹さんの家賃設定が気に入った私は、「ラッキー」と思いつつ曹さんと一緒に住む事に決めてしまいました。中国人と同居することは会話が上達する早道でもあると思いましたし…。決して変な下心はありませんでした。(というより、そうならない自信はありました。(;^_^A 曹さんなら絶対大丈夫!?)

 で、早速引越しをしようと決心し、「何時ごろからここに住めるの?」と聞いた所、来月からだと言うので、『やっとこれであの騒音アパートから開放されるぞ!』と思って大変喜んだのでありました。でも、この後少し紆余曲折がありましたけど。と言うのは…。

 うれしくなった私は、騒音アパートの大家さんに「来月、引越ししますから。」と次の日に告げてしまったのでした。ところがなんと、二週間ほど経って、『さぁ、ぼちぼち引越し屋さんを探して、引越しの手配をしよう。』と思っていた矢先、曹さんからрェあり、「(新しく引っ越す套房の)大家さんの都合で、あと一ヶ月ほど入居が伸びる」と言ってきたのです。

 『おぃおぃ、冗談じゃないよ。もう、こっちの大家には言ってあるのに…。』と思いましたが、中国語もまだ下手だったその頃、文句を言う気力もありませんでしたし、これからお世話になるので、心証を害したくないと言う気持ちもあり、了解してしまいました。(ToT)

 という訳で、こちらの大家さんには「ちょっと引越しが遅れるのでもう一月置いてくれ。」と頼み込むしかありませんでした。(ToT) 実は、この部屋の大家さんは女性(この人の名義)で、結構きつい性格(台湾の女性はたいてい性格きついです。(;^_^A )の方でした。だもんで、「来月出ると言ったくせに…。」と私にいろいろ文句を言おうとしたんですが、幸い、隣にいた大家さんのご主人が「まぁまぁ、良いじゃないか。まだ次の人も決まってないし…。」と、とりなしてくれたので追い出されずにすみました。(台湾の男性は優しい人が多いです。(^^ゞ )

 結局その一ヵ月後に、めでたくその騒音アパートを出ることが出来ました。引越し屋さんは曹さんが紹介してくれた業者(荷物が少ないのでおじさん一人と軽トラックでした。)で、親切なおじさんでした。お蔭で非常にスムーズに引越しできました。

(この時は、引越しはこれが当たり前だと思っていたので、自分が如何にラッキーか気がつきませんでしたが、この次の引越しの時に悪質業者にひっかかり、思い知る事になりました。しかし、それはまた次のお話です。(^o^; )

【 実は、この時はまだ知らなかったのですが、台湾の引越し業者には悪質な奴らが多く、特にチラシなどで宣伝している業者に引っ掛かると、引越し作業の途中で料金の値上げを要求してきたりする輩が大勢いるのです。

 そのやり口は、最初、見積もりどおりの金額設定で引越しを始め、荷物をある程度移動した後、つまり部屋の荷物を階下に運び、まさに車に積み込もうという段階の時などに、「荷物が多すぎて値段が釣り合わないから、もっと金額を上げてもらわないと、割に合わない。」などと言って凄むのです。そして、「嫌ならこのまま帰るよ。」と言うのです。なんと卑怯な手口でしょう。

 大方の人は、諦めて言いなりにお金を払ってしまうのです。特に、力の弱い女性などでは梱包した荷物を再び部屋へ戻す事は出来ませんから、泣き寝入りとなる人が多いようです。

 もし、台湾に住んでいてこれから引越しを考えている方が読者の中に居られたら、口コミや紹介などで必ず確かな業者を紹介してもらう必要があります。間違っても、チラシ等に載っている業者に電話してはいけません。どんな悪質な奴が来るかわかりませんから。】

 さて、このお話は引越し編なのですが、その後の暮らしが一体どのようになったのか、もう少しエピローグを続けさせていただきます。ですが、いい加減な分量になったので、この続きは次号へ譲りたいと思います。(^^ゞ


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  V.台湾雑話(特別編)
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 実は、8月26日から3泊4日で久しぶりに台湾へ旅行してまいりました。今回は、引越し編は休止して、その時のお話をしてみたいと思います。(;^_^A

 さて、1994年に帰国してから、毎年のように台湾へ遊びに行っておりました私ですが、ある事から厄年の恐怖を知り、次に控える男の大厄(41、42、43=1999,2000,2001)の3年間は慎重に行動し、「飛行機には絶対に乗らないぞ!」と心に決めておりました。という訳で、厄年の3年間台湾へ行けませんでした。 (ToT) 最後に行ったのは確か1998年でしたっけ。

 で、厄年の明けた去年、「やっと今年は行けるぞ!」とパスポートの申請も7月に行い、余裕で準備しておりました。(台湾行きは8月のお盆が終わってからの計画でした。お盆が終わると坊主は暇なのです。(;^_^A)ところが、当初計画しておりました一緒に行くはずの友人(含む坊さん)たちが、さまざまな理由で一人また一人と脱落していくではありませんか。

 お盆に突入する時点で、まだはっきりとした日程を決めてなかった私は、『えーっ、皆行かないの?レストラン、一人じゃ入りにくいじゃん。せっかく台湾へ行くんだから毎日自助餐じゃもったいないよ。ご馳走食べたいし…。』と思い、『え〜い、ならばどうせ私は暇があるんだから、皆が暇ができた時に合わせて行けば良いや。お正月もあるし。』と考えてしまったのでした。これが大きな大間違いでした。

 結局、9月に祖母が亡くなり、葬儀や法事などで忙しくなり、また暇があるかと思うと仕事が入りというような状態で、とうとう去年は行きそびれてしまいました。

 そこで、私は『今年こそは絶対に行くぞ!!』と年頭から固い決意をしておりまして、(^^ゞまた『一応、友人を誘うが、もし彼が行けなくても絶対一人でも行ってやる。』と決めておきましたので、そのつもりで準備を整えておきました。で、「今年も一緒に行きたい」と言っていた友人と計画を進めておりましたのですが、案の定、彼は「行けない」と間際になって言うのです。(ふん、早就料到的!!…独り言。)

 どうせそんな事だろうと踏んでいた私は、台北の銭老師や友人に連絡をとるなど、一人で着々と準備を進めたのでありました。(銭老師には毎回「お前は何時来るんだ?来たら家に招待してご飯ご馳走するからな!」と常々言われておりました。ご招待を受けてから既に4年…。(^o^; )

 さて、今回は3泊4日の短い旅行という事もあり、航空チケットとホテル(一番安いとこ)は旅行会社に任せて買いました。飛行機は往復ともキャセイの時間が一番良かったので、キャセイにしました。(行きは11時15分関空発で、帰りは16時05分台北発)ホテルは、いつもよく泊まる格安の金星飯店(中山北路、民生西路の交差点付近)を取ってもらいました。ここはホテルの従業員が日本語が話せるので、泊まっているのはいつも日本人ばかりです。(客が日本人ばかりだから日本語が話せるようになったのかな?(;^_^A

 なんか、いつもの事ながら前置きが大変長くなってしまいました。

 では、本編に入ってまいります。(*^.^*)

 26日、出発の日は全てが非常にスムースでした。私は大阪の今里に住んでいるので、地下鉄で難波に向かい、難波で空港線に乗って関空へ行きます。8時半ごろの急行で行こうと思っていたので、8時ごろ家を出ました。

 なんと、地下鉄の時間などは全然見てなかったのですが、駅に着くとすぐに電車が来るではありませんか!『ラッキー、こりゃあ、幸先良いぞ!今回の旅行はかなり良いかも!?』と単純な私は思いました。(私はいつも、地下鉄の駅に着いたときに電車がちょうどやって来たりほとんど待たないで乗れると良い予兆、長く待たされると悪い予兆と決めています。(^^ゞ)

 関空では、友人(一緒に行けなかった奴)が見送りに来てくれていました。彼は私の後輩なんですが、『もう、先輩とも会えないかも知れませんからね。』などと言って朝飯をおごってくれました。『縁起でもない事をいうなぁ。』と思いましたが、朝ごはんをおごってくれたので私はエビス顔。彼のお蔭でチェックイン後の待ち時間を楽しく過ごす事が出来ました。

 空の旅も順調で、現地時間で12時30分ごろ桃園にある中正空港へ着きました。……と、着いた所なんですが、ここからのお話は次回に譲りたいと思います。(;^_^A


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  V.台湾雑話(特別編)続き
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 さて、空港に着いたら、まずお金の両替です。(^_^)b 無事に税関を通りぬけると、空港の出迎えロビーに出ます。現在は出口の両サイドに銀行の窓口が設けてあり、両替のサービスを行っております。銀行は確か「中国商業銀行」と言う銀行に変わっておりました。以前は両替のサービスは台湾銀行のみで行っていた事もあり、ここ(空港)の窓口の両替率は大変悪かったので、私はいつもホンの少ししか両替しておりませんでした。

 因みに、以前の台湾銀行(現在はどこの銀行でも両替率は同じみたいです。(^^ゞ)は率が悪い上に、パスポートを提示して更に用紙に記入したりと、メンドクサイ手続きがありましたので、いきおいヤミ替えに走る事になりました。だって、ヤミ替えなら両替率が良い上にメンドクサイ手続きが一切必要無いんですもの。

 今では銀行の方が両替率が良いので、もう役に立たない知識ですが、ヤミ替えは「銀楼」という宝石店で行います。銀楼を見つけるのは大変簡単です。ちょっと街を歩けば至る所にありますから。でも、どの店でも両替をしてくれるという訳ではありませんので、一応「両替できますか?」と言って聞いてみる必要がありました。当時は両替率と便利さからよく利用していました。

 閑話休題。まず、ガイドブックで2箇所の両替の窓口があることを知っていた私は、台北行き(因みに中正機場は桃園という所にあり、台北まで車で一時間ほどの距離です。)のバスの発着所に近い位置にある窓口で日本円を台湾元に替えました。パスポートを出して用紙にサインだけの簡単な手続きで、あっという間に終了しました。(以前はもっと面倒くさかったような…。(;^_^A )

 そして、ビックリしたのは両替率でした。実は、私が住んでいた時の円と台湾元の比率は5:1でした。つまり一元が五円ということです。その時私は五万円替えたのですが、予想は10000元ぐらいかなというところでした。ところが、何と13850元(千元札が十三枚もあるのですよ!)もあったのです。「えっ、何でこんなに多いの?」と思い、両替率を見てみると、なんと!!2.77:1、つまり一元が3円弱であったのです。((T_T)う、うれしかった。)思わず心の中で「ラッキー!」と叫んでしまいました。

【 そりゃーそうでしょう。2.77ということは、以前のほぼ半分じゃありませんか。つまり、五万円がほぼ倍の価値になったということです。(いささか誇張あり。(;^_^A)なんか、急に金持ちになった気分でした。みなさん!!台湾へ遊びに行くなら今ですよ! 】

 大体、台湾の物価は食費と交通費は日本よりはるかに安いのですから、すごく使いでがあります。今回は自助餐を利用する機会は無かったのですが、100元(300円)もあれば日本の1200〜1300円ぐらいの定食は余裕で食べられますし、市内のバスは15元(45円)で大抵の所まで行けますし、またMRT(地下鉄+モノレールのようなもの)でも、主要な場所には20元(60円)で行けちゃうんですから。(これなら移動にタクシーを利用しても全然余裕ですね。(^-^)v)

 という訳で、この時に替えた五万円が最後まで使いきれず、1000元ちょっと残りました。ちょっぴり口惜しかったのは、今回ホテルと航空券を旅行会社に一括して頼んだので、ホテル代を日本で払った事でした。(次回からは、自分で予約して向こうで払う事にしようと思っております。(^-^)v )

 さて、幸先よく無事に期待以上のタイピーを手に入れた私は、以前と同じように台北行きの「国光号」のバスに乗り込んだのでした。(台北まで110元)台北までほぼ一時間。「なんか今回の旅行は運が良いぞ!!ワクワク!o(^o^)o」

 やっと空港を出たのですが、適当な分量になりましたので、台北でのお話は次回へと譲りたいと思います。( たった3泊四日の旅行なのに、引き延ばして済みません。m(__)m )


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  V.台湾雑話(特別編その3)
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 さて、国光号は台北火車站(国鉄の駅)の横にある西站の近くに着く事になっております。これは以前と全く変わっておりませんでした。以前、ここからはよく市内バスを利用して中山北路(以前に住んでいた場所。今回の宿の金星飯店もここにあります。)まで帰っていたのですが、今回は新しく出来たMRTを利用しようと決めておりました。

 予約した金星飯店はMRTの淡水線の雙連という駅から歩いて2分ほどの所にあると聞いていましたので、まずはMRTの台北車站から乗るつもりでした。ガイドブックによると、駅付近には地下への入り口がたくさんあるとの事でしたので、気軽に探してすぐに一つの入り口を見つけることが出来ました。

【 因みに、日本ならどこにでもある駅の地下街なのですが、私が台北に住んでいた時にはまだ工事中で、どんな物が完成するのか全く予想できませんでした。後で聞くと、何でもここには多くの店がオープンする予定だったのが、数年前に洪水が起こって浸水し、以来まだどうするか決まっていないと言うことでした。しかし、通路としては申し分なく、広くてきれいな地下通りでした。また、ほぼ台北車站を囲うように地下街を作ってあり、その広さに驚きました。台湾の政府が、かなりの時間とお金と威信をかけて作り上げた事が容易に想像されました。】

 地下に入ると、なんとだだっ広い通路が駅前の地下をずっと通っておりました。(大阪の方ならご存知の、難波ウォークのようにふた筋の通路の両側に店がもうけてあります。でも、一軒も開いてません。)どうやらこの通路を行くと、MRTの台北站へ行けるようです。ありがたい事に、地下に降りると冷房が効いていて外の暑さが嘘のようでした。また、そのだだっ広い通路は両側に店が入る予定なのか、はたまたその日は休みだったのか、皆シャッターが下りて閉まっておりました。

 『へぇ〜、休みなのに冷房が効いているとは、贅沢だな。日本なら絶対に切ってるはずだよね。』などと思いながら、一路MRTの駅に向かって歩いてゆきました。しかし、地図で見るのと実際に歩くのとではかなり感覚が違い、また自分が一体何処にいるのかが分らなくなり、暫く歩いてやっと駅に着くことが出来ました。駅に着くと、ガンガンに冷房が効いており、なんとこの冷気が先の地下通路の方に流れ出して涼しかったのだと了解しました。(でもこれなら、バスで行った方が絶対速かったゾ!!あんだけ歩くんだったら、地上を歩いて金星飯店に行っても同じくらいじゃないのかな?と思いました。(;^_^A )

 MRTは、地下鉄とモノレールが合体したような交通システムですが、私が乗った淡水線は地下鉄風でした。かなり深い所に駅や路線を造ってあるので、どの駅にも長いエスカレーターが着いていました。駅の広さ、設備、清潔さを見て、『こりゃー、金かけてるね。なんか台北がいっぺんに近未来都市になっちゃった。』と言うのが実感でした。

 さて、雙連の駅で降りて、この駅から歩いて2分の所に金星飯店があります。駅から出ると外は凄い暑さでした。以前はこの近くに住んでいたので、自分の庭のように思っていた私は、地図も見ずに『え〜っと、この道路が中山北路だから、確かあの辺りだったよな。』とズンズン歩いていきましたが、何故か見覚えのない場所ばかりです。

 そうです、5年のブランクが大きかったのと、記憶が既に曖昧になっており、また地下から出て方向感覚が全く狂っており、完全に道を失ってしまっていたのです。『おっかしいな〜。確かこの辺のハズなのに!?』結局、道端でガイドブックを開き、更に道路の名前を確認すると、「民生西路」でした。

 「なぬ、民生西路。東西南北を取り違えてるじゃないの!また、一回りしなきゃ。はぁー。(>_<)」と、やっと自分の位置を把握してから、汗だくになりつつ漸く金星飯店にたどり着く事が出来たのでありました。なんと、MRTを降りてから20分ぐらいは歩き回ってしまいました。まったく、油断大敵であります。地下から地上に出た時には自分の位置と東西南北を確認するのを忘れてはいけませんね。(私だけかな?(^^ゞ )

 金星飯店には以前泊ったことがあったのですが、毎度バスで来て中山北路から入って行くので、今回まさかこんなに捜すとは思っても見ませんでした。

 いやはや、台北の第一日目(と言っても午後二時半ぐらいでしたが…)は、このようにして汗だくになって始まったのでありました。


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  V.台湾雑話(特別編その3)
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 暑い中、うろうろとホテルを捜し歩いたこともあり、ちょっと疲れたので、金星飯店にチェックインしてから部屋に入って暫く休憩したのでありました。(;^_^A

 そして、汗が引くのを待って、早速銭老師や友人に連絡を取ることにしました。ところが、銭老師には「台北に着いたら金星飯店の部屋番号をFAXしといてくれ。電話するから。」と言われていたのですが、何と、うかつな事にFAX番号をメモしたつもりが、以前の古い番号を間違えてメモしていたのでありました。失敗、失敗。(^^ゞ

 ちょっと悩んだんですが、「まぁ、金星飯店に泊っている事は知ってるんだから、そのうち電話をかけてくれるだろう。」と思い、先ず友人の方に連絡する事にしました。この友人とは、台北へ行く前日に国際電話で話して、段取りを大体決めていたのです。で、初日の晩の食事を一緒にする事にしておりました。

 ところが、晩餐を共にするはずの友人の携帯に何度連絡しても「信号が捉まらない」と言うばかりで、連絡がつきません。自宅の電話番号も知っていたので、自宅の方へかけてみたのですが不在で、仕事からまだ帰っていないようです。留守電に台北へ着いた事だけを入れて、また電話すると言っておきました。というのは、今回は短い旅行なので時間は貴重です。電話を待ってる時間が勿体無いので、「そーだ。本屋街をうろつこう!!」と久々に重慶南路の本屋街へと出かけていきました。

 久しぶりの本屋街はかなり様変わりしておりました。以前ほどの活気は無く、店舗の数も減っておりました。昔よく行った、行きつけの店も今は店舗が存在しておりませんでした。なんか台北も不景気の風が吹いているようです。とは言うものの、まだたくさん本屋はありますので、どんな本が出ているのかなと、あちこちと見て回りました。( 大体、私が本屋で最初に見る場所は決まっております。「命相」関係つまり占い書のコーナー専門です。次に、武術関係の所を見ます。気功関係も大体武術のコーナー付近に一緒においてある事が多いです。その他、台湾の本屋は時々セールをやっており、八掛け七掛けで売っているのもざらですから、そういう店も見逃してはなりません。)

 そうこうしながら、適当に街角の電話で友人宅に電話をかけてみたのですが、夕方5時過ぎにやっと捉まりました。彼女によると、金星飯店に電話をかけたそうでした。私はもちろん外出していましたから…。(;^_^A あっ、そうそう、この友人は女性なんです。日本人の女性で、今は30台半ば。1995年、私が帰国後に台湾人の男性と結婚して現在は女の子が一人います。仮にTさんとしておきます。Tさんとは古い知り合いで、1990年に台湾へ行ってすぐに、ある人の紹介でお知り合いになりました。結局、彼女とはロマンスも無く、現在でも良いお友達関係が続いております。

 さて、彼女によると「空軍の経営するレストランがおいしいから、今晩はそこへ行きましょう。」との事でした。ちょうどそこは「そごうデパート」の近くでしたので、そごうデパートの前で待ち合わせし、歩いていきました。

 今回の旅行の目的のひとつは、おいしいものを食べる事なのでした。久しぶりの旅行で台湾に来たので、いろいろな中華料理をいろいろなレストランで食べてやろうという計画があったのです。特に私は北京料理が好きなので、お目当ての所(「稲香村」と言います。あとで紹介しますが、ここは本当においしいくてしかも安い優良店です。)には必ず行くつもりでした。

 でも、困った事があります。それは、一人だとレストランは入りにくいということです。自助餐などの大衆食堂なら、一人で入ってもぜんぜん不自然ではありませんが、ちゃんとしたレストランなら二人以上いないと格好がつきませんからね。今回は同行するはずの後輩がキャンセルとなり、一人の旅行ですから悩ましいのです。

 と言う訳で、事前に台湾に住んでいる彼女にメールを入れ、更に電話しておいたという次第です。彼女ならば、もう台北に住んで長いし、中国語の方も私が住んでいた時でさえ、私よりはるかに出来ましたから、今はほとんど台湾人と変わりないはずです。つまり、とっても頼りがいがある女性なのです。

 そこのレストランは、知る人ぞ知る〇〇菜で有名な所であったらしいのですが、〇〇菜の部分は忘れてしまいました。場所は復興南路と忠孝東路の交差点から南に少し下がった所にあります。

 お恥ずかしい話ですが、既に2ヶ月が経過してしまい、そのときに食べた料理はどんな物であったかあまり覚えていませんが、点心風の餃子やシュウマイ、何皿かの料理とスープを食べました。料理はどれもおいしかったのですが、デザートに棗餡の焼餅風のものを食べたのですが、これはあまり口に合いませんでした。それが印象に残っています。(;^_^A

 今回も適当な分量になったので、また次号ということに致します。この調子だと、三泊四日の旅行の話が今年いっぱいかかりそうですね。(^^ゞ


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  V.台湾雑話(特別編その4)
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 台北第二日目は、一日中銭老師のお宅にお邪魔して、歓待を受けてしまいました。(^^ゞ

 その経緯はというと、第一日目の晩に友人と食事をした後、真っ直ぐホテルに帰ってみると、銭老師からメッセージが届いておりました。それによると、「明日は、一日空けといてくれ。我が家に招待するから。明朝、8時から9時ぐらいまでの間に迎えに行くから。」ということでした。

 で、翌朝、朝食を済ませ「車ででも迎えに来てくれるのかなぁ。」と思っておりましたら、8時半過ぎごろ、リュックをしょって手に少し大きめの布袋を提げた銭老師がえっちらおっちらと歩いてやって来られました。久しぶりの挨拶を交わしてから、どうやって老師のお宅まで行くのかと聞くと、「今、私は淡水のマンションに住んでいるので、MRTの雙連の駅から終点まで乗って、そこからバスで終点まで行くのだ。」と言うことでした。

【金星飯店の朝食は中国式と洋式とを選ぶ事が出来ます。中国式は清粥と呼ばれるお粥です。おかずが四皿ほどついております。洋式ならばトーストとハムエッグとコーヒー等です。私の第一日目の朝ごはんは、お粥を選びました。o(^o^)o

 ついでに、「その手に提げた袋には何が入っているんですか?」(なんかあんまりかっこよくないけど…。――心の声(^^ゞ)と聞くと、「うん、これは家に帰ってスープをつくろーと思って、豚の骨を買ったんだ。」というお答え、そう言えば老師は季節ごとに、身体に適したスープを飲むべきだと言う自説を持っておられた事を思い出しました。(^^ゞ

 さて、「もう、朝飯食ったか?」と聞かれるので、「済ませました。」と答えると、「そうか。私はまだなんだ。おごるから付き合ってくれ。そうだな。ワンタンでも食べよう。」と言って、ホテルから駅に行く途中の店に入ってワンタンをご馳走になったのでありました。実はお粥でほぼお腹がいっぱいだったのですが、せっかくの老師のご好意を断りきれず、ひと椀食べてしまいました。(これが後になって効いてくるとは…。(;^_^A この時はあまり予想しておりませんでした。)

 久しぶりにお会いしたので、積もる話をしながらMRT淡水駅まではあっという間でありました。そこからまたバスに乗って終点で降り、老師のお宅のあるビルへと歩いて向かいました。そこには、何棟かのビルが海辺に立っており、台北にしては広々として気持ちのよい場所でありました。

 銭老師のお宅はそのビルの1?階にありました。窓からは海が一望でき、海風が爽やかな場所です。実は奥さんとも顔見知りなので、彼女も「ほんとに久しぶりね。」と喜んでくれました。そして「今日はご馳走作るから、ちょっと待っててね。」とのこと。

 お昼ご飯が出来るまで、銭老師といろいろお話をしました。占いのこと、現在の生活のこと、商売の方法等のことなどです。(私は主に聞き役ですけど。(*^.^*) )そして、今回一番の収穫であった、祝由科の呪法をひとつ伝授していただきました。それは、「憑き物が憑いた霊媒に懸かった靈が本物かどうかを見分ける方法」です。老師によると、「これはめっちゃ効くからな。」という事でした。

 その方法は詳しくは明かせませんが、掌訣と呪文を唱えたあと、指で掌に文字を書いて、それを霊媒に向かって吹き飛ばすと言うやり方で、本当に効果が有りそうでした。(もちろん、まだ試しておりません。機会があれば試してみたいです…。q(^-^q) )

 因みに、「祝由科」とは特殊な漢字を用いて病気を治す法術で、儀式作法に則って特殊な漢字を書いた呪符を作成し、それを焼いて灰にして患者に飲ませるという方法をとるようです。台湾などではこれに類する本がたくさん出ております。銭老師は道士でもあるので、師に就いてこの全伝を得たと言う事です。この祝由科の法は主に治病に使うのですが、各種の病気の中でも精神的な病気を治すのに最も効果があるとのことです。

 銭老師も、精神的な病を治すのが得意で、「鬱病など治すのはけっこう得意だよ。もし治らなかったら、お礼はいらない。」と常々言っておられるそうです。ホントかなぁ。(^o^; 

 その他に、やはり祝由科に伝わる麻鞭の作り方も教わりました。この麻鞭は、穢れを払う効力があるということで、自分の身体を打ったり(もちろん軽くですよ。(;^_^A)、服を着る前に服を広げて打ってから服を着るのです。そうすると、精神が爽快になり悪いものが離れると言う事です。

 さて、そうこうしている内にお昼ご飯が出来上がり、昼間っからビールを飲んでの酒宴が始まったのでありました。因みにビールは、最近青島ビール(チンタオピージュウ)が輸入解禁となったと言う事で、青島ビールを買ってきてくださいました。(中国人はこのビールが一番うまいと申します。(^-^)v )


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  V.台湾雑話(特別編その5) 
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 銭老師はもともと大変お酒が好きな人で、私が日本に帰った時のお土産はいつもプランデーにしておりました。と言う訳で、今回もプランデーを空港で買って、お土産に渡したのですが、その時なんか以前と雰囲気(あまり喜んでいないような?複雑な表情。)が違うものを感じていたのです。で、このお昼の酒宴の時に分ったのですが、どうやら奥さんにここ何ヶ月かの間お酒を飲むのを止められていたようです。(^^ゞ

 それで、「今日は、お前のお蔭でおおっぴらに飲むことが出来るし。奥さんの心の篭った手料理も食べられると言うわけだ。ありがとうな。」と、青島ビールを飲むは飲むは…。「乾杯。乾杯。」の嵐状態でした。私は奥さんとも知り合いなので、奥さんも複雑な気持ちだったのでしょうが、『まぁ、今日はしょうがないわねぇ。』と言う所で、奥さんの手料理で老師も私も大いに盛り上がったのでありました。でも、朝ごはんを二重に(ワンタンを無理やりご馳走になったのを覚えてます?)食べたので、それ程量は食べられませんでしたが…。(;^_^A

 食後は、果物を食べ、お茶を飲み、歓談が続きました。そして、カラオケで日本の歌を披露したり…。(;^_^A で、三時も過ぎて「ボツボツおいとましようかな…。」なんて思っていたら、銭老師が「近くにちょっと変わったうまい店があるから、そこで晩飯を食おう。めっちゃうまいからな。」と仰るのです。「え〜っ、そんなぁ。もう十分に歓待していただきましたよ。(^o^;」とお断りしたのですが、「いや、どうしてもご馳走したい。今度は手料理ではなくて、外食だ。」とすすめられて結局お断りできず、お誘いを受ける事にしました。

 そして、「じゃあ、晩飯に備えて食休みを兼ねて昼寝しよう。お前は私のベッドを使ってくれ。6時ごろ晩飯に行こう。」ということで、老師のベッドを借りてしばし休憩…。(実は、その日の晩はやはり友達と何処かのレストランで食事をしようということになっていたんですが、それは当然キャンセルとなりました。)

 お昼寝の時点で既に4時ごろだったので、『果たしてあと2時間寝たぐらいで先ほどまで食べたものを消化できるのだろうか?あの朝のワンタンが効いてるよな。(^o^; 』と思いつつも、老師のベッドでゆっくりと休ませていただきました。1時間半ほどで目が覚めましたがやはりお腹は…減ってません。(*^.^*)

 流石に老師も6時ごろにはお腹が空かなかったと見え、6時半ごろ起き出して、7時過ぎごろ、皆でそのレストランへてくてく歩いて出かけて行きました。道すがら老師が言われるには、そのレストランは、見掛けはほんとにあばら家のような店なのだが、知る人ぞ知る名店で、付近の住民はもとより、台湾の芸能人や有名人なども、台北から車を飛ばして食べに来るほどの店だという事でした。

 さて、その店は海辺にありました。何と言って良いのか、そう、日本の夏に海水浴場にある海の家のような感じでした。『へぇ〜、こんな店がねぇ。』と言うのが正直な感想でした。椅子やテープルもほんとに海の家そのものでしたから。でも、その椅子やテープルはお客さんで溢れかえってましたけどね。(店の名前は、確か「漁人食堂」だったかな?記憶がもう薄れてます。(;^_^Aですから、結局漁師料理の店と言うような意味なのでしょう。)

 そこでいただいたのは、中華料理というより野趣あふれる漁師料理と言うか家庭料理のようなものでしたが、味はどれもおいしかったです。特に、車えびをニンニクの効いた独特のタレで焼いたものは、もう一度食べたいと思わせる味でした。他には焼き飯や生のタマネギのサラダ、羊肉の串焼きのような物等たくさんいただきました。もちろん、青島ビールと一緒に…。(主に老師が飲んでました。(;^_^A奥さんはちょっと不満そうでした。)

 その席で、「お前はどんな中国料理が好きなんだ?」と聞かれたので、「老師、私は北京料理が好きなんです。特に猪肉餡餅が好きなんです。」と言うと、「なんだ、そうなのか。じゃあ、明日の晩は北京料理を食べに行こう。」とおっしゃるので、流石の私も恐縮してしまい、「いやぁ、老師、今日こんなに歓待していただいた上に、また明日もご馳走になるなんて…。いけませんよ。」と言ったのですが、「大丈夫だよ。北京料理のうまい店も知ってるから、明日は台北で待ち合わせてそこで晩飯を食おう!」と…、やはり断りきれませんでした。(;^_^A

 さて、この晩は、この店を出てからバス乗り場まで送ってもらい、また明晩と約して老師と別れたのでありました。と言う訳で、この日つまり第二日目は一日中食っちゃ寝をしていたのでありました。買い物も何も出来ませんでした。『あ〜、日本へ帰ってから体重計に乗るのが怖い。』と思う一日でした。

 なんか、今回は食べる話ばかりで申し訳ありませんでした。m(_ _)m 



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  V.台湾雑話(特別編その6)
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 さて、台北第二日めは食っちゃ寝に一日費やしてしまいましたので、残された時間はあと一日半となってしまいました。なんせ、3泊4日ですからね。友人から頼まれた物も買いに走らなければならないし…。これじゃあ、本屋もゆっくり回れません。急がなければ。(この台湾雑話も、急がなければ今年中に終わらないかも?(^^ゞ)

 では、三日目のお話です。すっかり予定が狂ってしまった私は、少しあせっておったかというと、そうでもありませんでした。朝、ゆっくり8時過ぎに起き、予定を立てました。(なんせ、店が開くのは10時ぐらいからですからね。)友人に頼まれていたものは、中国将棋のコンピューターソフトと、中国の坊さんの履く鞋(少林寺の僧が履いているやつです)と、チベット密教グッズでした。

 坊さんの履く鞋とチベット密教グッズは、どちらも売っている店の心当たりがあったのですが、中国将棋のソフトはどこで売っているか分りませんでした。何でも友人によると、駅前のコンピューター専門店街で以前見たことがあるということです。それで、まずどこで売っているかよく分らない、そのソフトから探す事にし、駅前から攻めてみる事にしました。なぜなら、そこは重慶南路の本屋街の入り口付近にあるはずでしたから、「そうだ。ついでに本屋街もうろつけるぞ!」と思ったからです。(本屋、本屋〜♪q(^-^q) )

 その専門街は駅前のビルにあり、地下から上のフロアまで小さなコンピューター関連用品を売っている専門店の集まりといった感じでした。で、一階から順々に見ていったのですが、何と本体や部品を売っている店はたくさんあるのですが、ソフトをおいてある店はなかなかありませんでした。

 三階、四階と上がって行って、ようやくソフトを売っている店を見つけました。が、「中国将棋のソフトなんて…。(あるのかねぇ?)」と探してみると、案外簡単に見つけることが出来ました。そこで、ちょっと本格的っぽいのを選んで、買い物リストはひとつ品物を減らしました。あとは鞋と密教グッズです。これらは、店の心当たりがあるので急ぐ必要はありません。

 と言う訳で、ちょっと重慶南路で何軒か本屋を冷やかしたんですが、あまり油断していると時間がなくなるので、心を残しながらも次の買い物先である、チベット密教グッズの店へ行きました。この店は、「頂好市場」と言う市場の近くのビルにあります。(そごうからも近いです)「禅門」という店ですが、結構いろいろと面白いグッズがありますので、お好きな方は台北へ行かれたときに覗いて見られるのも良いと思います。(住所は、『台北市忠孝東路4段112号F之13』です。)そこで、頼まれていた物と、知人へのお土産を買って第二の買い物も終了です。

 この時点で、お昼もまわってお腹が空いたので、「どこかで昼飯を…。」と思い、この近くでうまい飯屋は…と思いをめぐらしたところ、ありました。ひとつ通りを越した所(と言っても1キロぐらいはあります。)に、以前よく通った大好きな「エビ巻き飯」(蝦捲飯)の店が近くにあるではありませんか!!

 さて、台湾の商店は変わり身が早いので、店がいまだにそこで経営しているかどうか分りませんでしたが、「まだやっているかなぁ?まぁ、無駄足でも一応行ってみるか。」と、MRTに乗って5分ほどでその店の近くの駅に着きました。そこは、兄弟飯店の前の駅です。

 その飯屋は名前を「金仙魚丸店」と言い、兄弟飯店の向かい側の細い路地を100メートルほど入った所の左側にありまして、以前私が「地球村」という日本語の補習班で教えていたときに、晩ご飯や昼ご飯はたいていそこで食べておりました。

【 この「蝦捲飯」は以前にも紹介した事があったかもしれません。蝦捲とは、エビのすり身にくわいを混ぜたものをゆばで巻いて棒状にし、それを油で揚げた物で、それを炒めた野菜などを2種類ほど載せた魯肉飯(豚の脂身の多い皮膚側の肉を細かく刻み、甘辛く煮たものをそのタレと一緒にご飯の上にかけたもの)の上に4〜5本載せてあるもので、めっちゃ旨いものです。基本的には魯肉飯と蝦捲なのですが、載せてある野菜炒めなどは毎日違うおかずになるので、毎日食べても飽きませんでした。 】

 さて、その路地は食べ物屋が多く集まっている所でしたので、昼飯時のサラリーマンやOLたちで賑わっておりました。「まだ、やってるかなぁ。」と心配しながら記憶をたどって路地を進んで行くと、ありましたよ〜。(ToT)懐かしい「金仙魚丸店」の文字が…。

 早速入って、蝦捲飯と蝦仁[火庚]を注文しました。因みに、蝦仁[火庚]とはエビ入りの重湯スープのようなものです。これも旨いです。(^^ゞうれしかったのは、味が全然変わっていませんでした。(TT)女将さんも同じ人でしたし、店を手伝っている若い女の子は、おそらく以前夜などに店のテーブルで勉強していた、あの時の小学生の娘さんなのでしょう。あれから、なんせ10年近く経ってますからねぇ。すっかり立派な娘さんになっちゃってました。

 因みに値段はあわせて100元(300円)弱だったと思います。この店は穴場ですので、台北のホテルの料理に飽きた、庶民の味を求める旅人は足を運んでみられるのも良いかも知れません。安いしね〜。(^^)d

 さぁ、次は坊さんの鞋です。これは、普通の靴屋などには置いていません。台湾の佛教の大本山、佛光山が経営する「佛光書局」という本屋でしか売っているのを見たことがありません。で、当然その佛光書局へ急ぎました。

 というところで、今回も食べ物の話で紙面を割いてしまい、お話を終わることが出来ませんでした。申し訳ありません。12月は引越しの為、休刊させていただきますので、この話は結局来年に持ち越す事となりました。m(_ _)m


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  V.台湾雑話(特別編その7)
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◆◆ 訂正とお詫び ◆◆

前号のチベット密教グッズの店の住所などが一部間違っておりました。どうやら昔の改装前のものを使ってしまいました。正しくは

 禅門佛教文物店(本店?):台北市忠孝東路四段122−2号3FC
 п@02−7730662 or 7730663 fax 02−7730664

 妙吉祥佛教文物店:台北市南昌路1段15号1F
 п@02−3948971 or 3949357 fax 02−3946509

 禅門出版社: 同上 п@02−3933966 fax 02−3946509

 仏光書局は台湾大学の近くの「公館」という駅の近くにあります。金石文化広場という本屋が目印で、その傍のビルにあります。佛教専門書店ですが、仏教書の他にも仏像、仏具、御香、数珠、佛教グッズなど結構いろいろな物がおいてあります。

 以前に何度も行ったことがあるので、迷わずにたどり着いた私は、早速お目当ての「和尚鞋」を探しました。ところが、以前は店頭に並んでいたのに、今回は店のどこを探しても見つかりません。それで、店員のおねえさんに「以前ここにおいてあった「和尚鞋」が欲しいんですけど…。」と聞いてみると、「あーっ、あれはね、坊さん以外の人が買おうとするんで、今は店には出してないのよ。坊さんじゃないと売れないわよ。」と言うので、「いやぁ、実は私は日本の坊さんから頼まれて、その「和尚鞋」を買ってくるように言われているんだ。」と言うと、「そういうことなら、いいですよ。」とおねえさん、案外あっさりと承諾してくれました。(因みに「和尚鞋」は[ホーシャンシエ]と読みます。)

 おねえさんは早速、店の奥に引っ込んで「和尚鞋」を持ってきてくれました。そこで、友人に頼まれたサイズを告げてやっと適当なものを購入する事が出来たのでありました。しかし、『これじゃあ、坊さんの格好をしてない限り、言葉が話せないとこの「和尚鞋」を買うのは無理だな。』というのが正直な感想でした。

 それはさておき、無事にすべて頼まれた品々の購入に成功して、やっと一安心した私は、店の中をつらつらと見て回りましたが、目新しい気に入ったものも無く、他には何も買わないでそこをあとにしました。

 人に頼まれた物は揃えたのですが、よく考えてみると自分のお土産はまだほとんど何も買ってませんでしたので、『う〜ん。お土産何にしよう?うちと友達と、あそことあそこに。…そうだ!お茶でいいや。』と、どこかで烏龍茶(ウーロン茶)を買う事にしました。

 皆様ウーロン茶というと、日本で飲んでるあの大陸から輸入されたクズで作ったまずいお茶を想像されると思いますが、台湾のウーロン茶と大陸のクズのウーロン茶を一緒にしてはいけません。台湾のウーロン茶はめっちゃうまいっすよ!味、香りとも素晴らしいです。もちろん、ピンからキリまでありまして、普通のものは300グラム2500円ぐらいで、良いお茶は300グラム5000円〜8000円ぐらいしますが、淹れると桃の花の香りがするものもあります。(もちろん、人工的な匂いをつけてあるのではなく、お茶を淹れた香りがそのような香りになるのです。高山茶というものです。)お土産にするのなら、300グラム2500円ぐらいの中級品を持って帰ると喜ばれる事請け合いです。

 台湾土産でお勧めな物はたくさんありますが、食品関係なら、先ず上記の凍頂烏龍茶が手ごろでしょう。他にはカラスミ、豚肉のデンブ、新竹ビーフン、香腸(甘い中国ソーセージ)、鳳梨酥(パイナップル饅頭)、月餅(でかいのでほとんどケーキ感覚)などがお勧めです。お茶とカラスミと月餅以外は、ほとんどスーパーに売ってますので、安上がりに出来ます。(;^_^A

 閑話休題。さて、この日の晩も銭老師が招待してくれるという、北京料理の店の近くで老師の一家と待ち合わせをしていたのですが、買い物が早く終わったので待ち合わせ場所に結構早く着いてしまい、少し時間がありました。その待ち合わせ場所は、和平東路と羅斯福路の十字路の所のダイイチ電器の前でした。そこら辺は私が台北に来て初めて住んだ重慶南路三段からすぐ近くで、ちょっと懐かしかったので、少しブラブラしました。ちょうど師範大学の語言中心への通学路だったあたりだったのです。

 それでもまだ時間が余ったのでどうしようかと考えていると、『そういえば、このあたりに「天仁茗茶」があったよね。』と思い出しあたりを見回したところ、ありました。以前にその店(天仁茗茶はチェーン店でそこは支店)でお茶を買った事があった私は、『うん、ここで土産のお茶を買っていこう。約束の時間まであと30分余りあるから、あそこでお茶を飲んでけば、ちょうどいいや。』ときめました。そして、その店でお茶を買うついでに、しこたま試飲し、かつ時間もつぶしたのでありました。そして、ちょうど待ち合わせの7時ごろに銭老師の一家がやって来ました。

 す、すみません。(;^_^A もう少し続くみたいです。
 次号には必ず終わります
ので…。へっ、へー。m(_ _)m



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  V.台湾雑話(特別編その8)
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 その北京料理店は確か「楼外楼」という名前だったと思います。(日本にもあったかな?) なんと、そこは私が台北にやって来て一番最初に住んだ、あの騒音アパートから目と鼻の先にあり、ちょうど師範大へ通った道筋にありました。

 …そういえば、記憶の片隅にちょっと立派そうな(と言っても、それ程たいした店構えではありませんが…。(;^_^A )中華レストランが存在していました。当時は来たばかりで、まだこのような店に入る勇気がありませんでした。それに、一人じゃ入りにくいですしね。f(^_^) 『なぁんだ、そうだったのか。この店知ってるぜ!入ったことはないけど。北京料理の店だったとは…。しかも有名店なのか。ふ〜ん。』と思いつつ、ちょっと昔を思い出して懐かしい気持ちがわいてきました。でも、もちろん銭老師達には初めて来たような顔をしていましたけど…。(以前この辺に住んでいたけど、入ったことがないです。…なんてかっこ悪いですものね。(^^ゞ )

 さて、その店でしこたま北京料理をご馳走になりました。でた料理はどれもおいしい事はおいしかったのですが、何かいまいち物足りないものがありました。おごって貰う手前、私の自由に料理を頼めなかったせいもあるかも知れませんが、どうも私のお気に入り、「稲香村」に比べるとちょっと落ちるような気がしました。(実は、稲香村はどちらかと言うと大衆店で、ここの料理は高級すぎて私の口に合わなかったという説もありますが…。(;^_^A )

 とは言うものの、ごちそうをほぼ口から出そうになるくらいまで詰め込み、一応満足した私は、銭老師一家に丁重にお礼を述べ、来年もまたやってくることを約して、お別れしたのでありました。

 その晩、ホテルに帰って思うよう、『やっぱり北京料理は「稲香村」に限るぞ!それに「稲香村」の餡餅…。明日はもう帰るけど、昼飯はTさんを誘って一度「稲香村」に行っとこー!』…食いしん坊な私です。(^o^; で、早速Tさんに電話して、O.K.を取り付けました。彼女、付き合いが良いので助かります。

 翌日、帰りの飛行機は午後4時過ぎごろのキャセイ便でしたので、昼ごろまでは時間がありました。そこで、本屋街が開くのももどかしく、朝九時ごろに金星飯店をチェックアウトしたのでありました。帰りの空港行きのバス(国光号)は台北の火車站の南側、「西站」というところから出ますので、先ずその辺へ行ってコインロッカーを探すことにしました。

 でも、駅前は以前とはかなり様変わりしておりましたので、西站の隣の昔コインロッカーが在った場所がなくなっていたようで探せず、結局、新光三越デパートの地下のコインロッカーに入れました。(このデパートから、駅までは地下通路が通じてなくて、帰りには苦労しました。ちょっと遠回りになるんですよね。日本なら絶対に通じているはずの地下道がないんだもの…。ったく、誰が駅前地下街設計したんじゃ!!(ToT) )

 とりあえず荷物をロッカーに入れて身軽になった私は、足取りも軽く本屋街へと出かけたのでありました。ちょうど、ボツボツ店が開きかけた所でしたので、目をつけておいた本などを買って回り、立ち読みなどをし、時のたつのを忘れたのでございます。ふと、気づいてみるとなんと待ち合わせの20分前ではありませんか。本来、MRTを使って待ち合わせ場所(和平東路一段の「稲香村」の店の前)へ行くつもりだったのですが、間に合いそうもありません。

 そこで、結局タクシーをつかまえてちょうど時間ぐらいに店の前に着くことが出来ました。11時25分、セーフ。ところが、11時半に待ち合わせしたのに、なかなか彼女は来ないではありませんか。『え〜ん。早く来てもらわないと、飯食う時間が無くなっちゃよ〜。(ToT)』という心配をよそに、「ゴメンなさい。」と言いつつ、約20分ぐらい遅れて、余裕で彼女はやって来たのでありました。

 でも、まだ12時にはなってなかったので、『あと一時間ぐらいなら大丈夫だろう。』と念願の餡餅を始め、食べたかった物を結構いろいろ頼んでしまい、1時すぎに店を出る時には、満腹の上に時間に追われ、だいぶ残してしまい勿体無い事をしました。(なんせ、二人ですからね。後から考えると、3人前で食べるとちょうど良い位の量でした。「稲香村」の菜は量が多いのです。f(^_^) )

 「圓寂坊さん、何時の飛行機なんですか?えっ、4時。じゃあ、もう1時回ってるから、早く行かないと間に合わないですよ!」と、Tさんに急かされて一路タクシーを拾って西站へと向かったのでありました。『空港まで45分ぐらいだから、2時ぐらいに出るバスに乗ればぎりぎりで間に合うだろう。』と踏んでおりましたが、後からよく考えてみれば、もし渋滞などで遅くなったら大変でした。チケットは十日間fixでしたし…。(;^_^A

 タクシーで新光三越デパートへ乗り付け、そこで荷物を取り出し、大急ぎで西站へと向かいましたが、この時は少々あせっておりました。幸い、チケットを買ってすぐ出発のバスに乗ることが出来てどうやら間に合いました。Tさんは西站まで着いてきて見送ってくれました。Tさん、ありがとうございます。(ToT) )

 空港へ向かうバスの中で思うよう、『う〜ん。今回は何と言っても時間が足らなかったんだよな〜。老師の家で一日つぶれちゃったからなぁ。お土産とか人から頼まれたものを買うのにも時間かかったし…。自分の時間がほとんど無かったな。やっぱり台湾へ来る時は、一週間から十日間ぐらいは時間が必要だね。そういえば、今回は屋台にも行けなかったゾ。よし、来年の夏はお金を貯めて10日間だぁぁ!!』と、このようにしてあわただしい私の台湾小旅行は終わったのでありました。

 何のへんてつもない終わり方ですみません。m(_ _)m

 (ホントは、空港から日本へ帰る飛行機の中でも結構面白い事があったのですが、割愛させていただきます。大変長らくお付き合いいただき、ありがとうございました。m(_ _)m ← って、メルマガが終わるわけではありませんよ。念のため。(;^_^A では、このお話はこれでおしまいということに…。)

 寒い日が続きますが、皆様お風邪などひかれませんように。

 では、失礼します。(^o)/~~



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